
一般の飼い主がペットを飼う時には避妊・去勢手術を行う事が今や常識となっている。
発情時のわずらわしさをなくし、望まない子犬・子猫を増やさないようにし、さらに性ホルモン由来の病気の発症を抑えることがその主な目的であるが、避妊・去勢手術を行う動物病院の獣医師の役割はとても重要と言えよう。
避妊・去勢に関して言えば、飼い主の頼りは、動物病院の獣医師のみだからだ。
しかし、いざ手術のことをまじめに考えた時には、 飼い主は様々な疑問に行き当たるものだ。 従って、避妊・去勢の手術と言えど、飼い主にとっても、動物病院の獣医師にとっても、おざなりな対応や なおざりなことでは本来済まないものごとのはず である。どんな疑問が湧き出るのであろうか? 以下考察してみた。
疑問その1:いつごろ行うのが良いのか?
かつて避妊手術、去勢手術は体が一通り大人になって、体力的にも十分出来上がってから、というのが一般的であった。すなわち、雌であれば初回の発情を迎えたあと(生後8ヵ月以降)、雄であれば生後12ヶ月後くらいに手術を行っていた。
しかし最近は性ホルモンが出る前(生後4ヶ月くらい)のほうが性ホルモン由来の病気を防ぐ事が出来るとして推奨されるようになった。高齢になったときの乳癌発生率が、発情前に避妊手術をした時と、数回発情後に行った時では有意に差が見られるということが最近の研究で明らかとなったのである。
たかが避妊・去勢手術といっても学説は日々変化しており、正しいエビデンスに基づく手術法を提案できる獣医師を、やはり飼い主は選ばなければならないこととになる。また、逆を言えば、獣医師も選ばれることを意識していなくてはならなことになる。
疑問その2:どのような手術なのか?
通常、避妊手術は卵巣と子宮を同時に摘出する、もしくは卵巣のみを摘出する。去勢手術は左右の睾丸を摘出する。どの動物病院も行う行為自体に大差はない筈だが、たまに「避妊手術を受けたのに、そのあとでも発情が来た」などの問題が発生する事があり、手術を行う前には「どの部分をどのように手術するのか」ということを飼い主はきちんと説明をうけておくべきであろう。
切開する場所や大きさはそれぞれの病院によって若干の違いがあり、飼い主は傷口の大きさだけで獣医師の腕を判定しがちであるが、傷口が小さければそれだけ手探りで腹部内の手術を行うということであり、あながち「小さければよい」とも言えない。
また、避妊・去勢手術は病気ではないため、生死とは無関係な手術だと思っている飼い主も多いが、全身麻酔をかけ、体の一部にメスを入れる以上、100%安全という事はありえない。表面に現れない疾患による麻酔事故もしばしば見られることがある。
最近は動物医療も、医療過誤訴訟の対象となることが常識化しており、医療費の返還請求の上に慰謝料分まで保障させられる判決が定着しだしている。説明がない場合やあいまい説明では、万が一の医療過誤訴訟でも当然獣医師側に不利になる。避妊・去勢手術なぞ間違えるはずもないと高をくくらず、獣医師側も気を引き締めて、飼い主さんへ事前説明しなければならない。
疑問その3:どうして各病院で値段が違うのか?
手術費用のことを調べてみるとびっくりするような事実に突き当たる。それぞれの病院で手術料が全く異なるのだ。 猫の避妊手術ひとつ取ってみても、1万円のところもあれば10万円を越すところも存在する。いったいこの違いはどこからくるのだろうか?
人の病院と異なり、動物病院はどこも自由診療である。診療内容とその金額設定は各動物病院にまかされているのである。そこで「安全性にどこまでお金をかけるか」ということになる。
手術そのものを考えてみたときにも、全身麻酔薬の種類だけで何種類もあり、コントロールの難しい注射麻酔なのか、最新の吸入麻酔薬を用いるのかだけでもその安全性と金額には大きな違いがある。また、術中の呼吸や心臓の様子も同時にチェックできる麻酔モニターを使用するのか、最新のレーザーメスを使うのか、何人で手術を行うのか、そのうち獣医師は何名なのか、などの違いもある。

さらに、術後のケアの差もある。入院設備や入院日数も各病院で異なり、なるべく早く家に帰したほうがよいという考え方と、抜糸まできちんと入院管理したほうがよいという考え方の違いがある。さらに退院前に体を綺麗にグルーミングしてくれるところもあれば、傷口が汚れないように服を着せて退院させてくれるところもある。
どんな手術にも「絶対」は存在しないが、高額の手術費を支払って安心を得るのか、そこそこの費用を払ってそこそこの安心を得るのか、とりあえず最低限の事だけをするのか、その考え方は人それぞれである。
どの業界でもそうだが、べらぼうに安い場合とびっくりするほど高額な場合は要注意である。あまりに安すぎる病院は必要最低限の医療行為ですら行っていない場合がある。消毒など目に見えない場所で手抜きを行っていたり、小さなペットを相手にしているとは思えないような大雑把な処置を行ったりしていることがある。
避妊・去勢手術はペットを飼いはじめた人が遭遇する初めての本格的手術・入院である事がほとんどである。経験した事のない事態にとまどい、他の飼い主の噂やネットの情報に左右され、必要以上にナーバスになって獣医師の説明に上の空になってしまうことすらある。だが、飼い主は冷静になって獣医師に次のような最低限の事を聞かなくてはならない。「どのような手術なのか」「いくらなのか」「なぜそのような金額なのか」。そしてその解答に納得した上でペットを病院に預けなくてはならない。
そして、獣医師はプロフェッショナルである以上、愛するペットとお財布の中身を考える飼い主の疑問をなくし、納得させた上で手術を行わなければならない。獣医師にとっては年間何百件と行われる避妊・去勢手術の一つであっても、飼い主にとってはペットの一生に一度の大事件であることに変わりはなく、金額に見合った正しい手術を行ったと納得させるだけのインフォームドコンセントを行う事がプロとしての義務である。


